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『正座と日本人』丁宗鐵(3)松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇

たしかに徳川中期から武士たちは正座をすることが目立ってくるのだけれど、これはおおげさにいえば幕藩体制の支配強化がもたらしたもの、藩主や上司に下の者が服従するための押し付けだった面がある。あるいは礼儀を上意下達するためのものだった面がある。二木謙一の『中世武家儀礼の研究』(吉川弘文館)では、3代家光の時期、各大名が将軍に拝謁するときに正座をするようになったと示されている。
これに応じたのが藩主や儒者だった。岡山藩の池田光政に仕えた熊沢蕃山、林羅山に学び赤穂藩で軍学を教授した山鹿素行の肖像画は、正座をして端座の姿勢をとっている。荻生徂徠も太宰春台も正座の肖像画がのこっている。これがしだいに広まり、定着したのは8代吉宗のころだったろう。
これに対して、国学者たちはもっぱらアグラだったのである。ここがおもしろい。戸田茂睡、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、いずれもアグラ姿の肖像画になっている。その国学者たちが正座をするようになるのは幕末で、それは吉田松陰(553夜)の肖像は都合8点がのこっているのだが、萩の自宅に所蔵されていたオリジナルがアグラであるのに対して、その後に描かれたものがすべて正座になっていて、ここに、国を憂える者も正座でなければならなくなったという精神的姿勢論が加わったとみなせるのだ。

 

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